Thứ Tư, 19 tháng 4, 2017

JLPT N1

僕は、プライドというのは絶対感だと思う。

自分がバカであろうと、非力であろうと、そういう自分全体に責任をもって、堂々と押し出す。それがプライドだ。ところが自尊心だとかプライドだといいながら、まるで反対のことを考えている人間が多い。

他人に対して自分がどうであるか、つまり、他人に自分のことをどう見ているかなんてことを気にしていたら、絶対的な自分というものはなくなってしまう。プライドがあれば、他人の前で自分を良く見せようという必要はないのに、他人の前に出ると、自分をよく見せようと思ってしまうのは、その人間にコンプレックスがあるからだ。

大切なのは、ほかに対してでなく、自分自身に対してプライドを持つことなんだ。

他に対して、プライドを見せるということは、他人に基準を置いて自分を考えていることだ。
そんなものは本物のプライドじゃない。たとえ、他人にバカにされようが、笑われようが、自分が生きている手応えをもつことが、プライドなんだ。

相対的なプライドではなくて、絶対感をもつこと、それが、本当のプライドだ。このことを貫けなかったら、人間として純粋にいきてはいけない。

だから、自分は未熱だといって悩んだり、非力をおそれて引っ込んでしまうなんて、よくない。それは人間というものの考え方をまちがえている。というのは人間は誰もが未熱なんだ。自分が未熱すぎて心配だなどというのは甘えだし、それは未熱ということをマイナスに考えている証拠だ。



僕に言わせれば、弱い人間とか未熱な人間のほうが、はるかにふくれあがる可能性をもっている。未熱というものは運命全体、世界全体を相手に、闘う力というものをもっている。

Source: 日本語能力試験 JLPT/N1

Không có nhận xét nào: